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 志太郡衙の風景 11
◆グンガソムリエの興津さんからの記事(第11弾)を紹介します。

神の道 016

福井さんが作った筏の模型

 木材を筏に組んで朝比奈川を運んだこと

 「茶、紙、此の二品は宮島、青羽、玉取第一の産業とす、総て山中の産物他国に出すは、此の二品と材木のみなり、薬草はあれども採薬の術を知らず」と『駿河志料(一)』に記されている。さらに『静岡県志太郡誌』によると、林産物(大正2年末)について、「木材は実にその主産物にして木炭椎茸等これに次ぐ。木炭は県下5位、椎茸は4位、木材に至っては本郡の主産物たるのみならずその総生産額県下に絶す(価格合計略)」とある。
 ところで望月渓岳さんが「朝比奈川に生きし」と題して、お祖父さんから聞いた一昔前の話を綴った記事を『文芸岡部第十七号』(最終号)で目にした。「…大半は馬力車がこの時代の木材運搬を担っていた。中略。私の祖父は気の合う隣のおじいさんと、筏流しは時あるごとに流したようだ。…四組の筏をつなぎ合わせ、前の筏に祖父、後の筏には隣のおじいさん。祖父は岩場や瀬をたくみに操り、後者は前の筏に準じて流れるようサオを縦横無尽に操る…サオを操る中で危険な場所は幾所もあるが…」。
 こうして木材は朝比奈川を焼津港近くまで運ばれるのであるが、途中の難所の呼び名が私の興味を引いた―桂島のブッツケ淵で今の関谷橋の所、からはじまり、大曲のオッケ淵、ジャコツ淵、マナイタ淵…村良のフジ淵、仮宿ではシロイワ淵。岡部川と合流する地点がトモエ淵、三輪をすぎれば葉梨川と、さらに流れて瀬戸川と合流(落合)する。ここが二人最後の筏流しの見せ場。一度は当目側に押し流され、さらに西へ西へと流されてしまい、焼津の漁師に助けられた…。
 さて、記事を読んで‘はい、それまでよ’ではつまらない。私は朝比奈川に筏流しの面影を求め、本誌を手にして羽佐間から浜当目までを自転車と徒歩で遊覧した。河川・護岸工事で当然淵も姿を変えている。それでも龍勢、玉露(の里)、木喰仏、和紙など岡部の産業・文化を、朝比奈川の流れと重ねることで私の世界が広がった。
 朝比奈川の「淵づくし」やその周辺の事物を、福井富司夫さんにずいぶん教えていただいた。上の望月渓岳さん、実は福井さんそのひと。おあとは本誌におまかせ。

                        
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