| 志太郡衙の風景 11 | |
◆グンガソムリエの興津さんからの記事(第11弾)を紹介します。![]() 福井さんが作った筏の模型 木材を筏に組んで朝比奈川を運んだこと ところで望月渓岳さんが「朝比奈川に生きし」と題して、お祖父さんから聞いた一昔前の話を綴った記事を『文芸岡部第十七号』(最終号)で目にした。「…大半は馬力車がこの時代の木材運搬を担っていた。中略。私の祖父は気の合う隣のおじいさんと、筏流しは時あるごとに流したようだ。…四組の筏をつなぎ合わせ、前の筏に祖父、後の筏には隣のおじいさん。祖父は岩場や瀬をたくみに操り、後者は前の筏に準じて流れるようサオを縦横無尽に操る…サオを操る中で危険な場所は幾所もあるが…」。 こうして木材は朝比奈川を焼津港近くまで運ばれるのであるが、途中の難所の呼び名が私の興味を引いた―桂島のブッツケ淵で今の関谷橋の所、からはじまり、大曲のオッケ淵、ジャコツ淵、マナイタ淵…村良のフジ淵、仮宿ではシロイワ淵。岡部川と合流する地点がトモエ淵、三輪をすぎれば葉梨川と、さらに流れて瀬戸川と合流(落合)する。ここが二人最後の筏流しの見せ場。一度は当目側に押し流され、さらに西へ西へと流されてしまい、焼津の漁師に助けられた…。 さて、記事を読んで‘はい、それまでよ’ではつまらない。私は朝比奈川に筏流しの面影を求め、本誌を手にして羽佐間から浜当目までを自転車と徒歩で遊覧した。河川・護岸工事で当然淵も姿を変えている。それでも龍勢、玉露(の里)、木喰仏、和紙など岡部の産業・文化を、朝比奈川の流れと重ねることで私の世界が広がった。 朝比奈川の「淵づくし」やその周辺の事物を、福井富司夫さんにずいぶん教えていただいた。上の望月渓岳さん、実は福井さんそのひと。おあとは本誌におまかせ。 | |
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